2025.06.15

別れてひとりになるのがこわいから、「好き」って思い込もうとしていた。

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「好き」っていう気持ちだけで、いろいろ判断するのは、気をつけないとこわい時があると思う。
「好き」だからって、すべてをがまんする必要はないのに。

     
「好き」っていう気持ちは、
時に、自分の本当の気持ちを
見えなくしまう事があるような気がする。

  
その人といて苦しいのに、
「好き」だから大丈夫、
きっと大丈夫って思うこととか。

  
その人のそばにいると、
つらい事の方が多いのに、
「好き」だから、こんなの乗り越えられるはずって、
思おうとしたり。
がまんしたり。

   
ふたりに起る困難とか、問題を、
ふたりでいっしょに越えようって、
手を取り合ってがんばるのとは違って、
自分ひとりが、がんばろうとしている時の場合の話。

    
「好き」だから、
自分の本当の気持ちを抑えすぎていたり、
言いたいことも言えないでいる場合は、
その「好き」な気持ちを、
冷静に見る必要があるような気がする。

  
私が、そういう「好き」を経験したことがあるから。

 
その人と離れるまで、
自分のその人が「好き」な気持ちを、
疑ったことがなかったけど…。

 
離れてみて、
ひとりになる怖さから逃げるために、
その人のことを「好き」って思おうとしていたのかも、
って思った。

  
別れて、ひとりになるのがこわいから、
「好き」って思い込もうとしていた。

 
でも、いっしょにいる時は、
それが「好き」な気持ちだと思っていた。

 
あの時、もっと自分に問いかけてみればよかった。

   
その「好き」な気持ちは本当?
まっすぐ?
って。
 
  
「好き」っていう気持ちは、
自分の本当の心を見えなくしてしまう事もある。

 
「好き」な心は、
本当の気持ちを、見せてくれる事も多いけど、
弱い気持ちからの、
逃げる理由になってしまう事もあるって、
私は、あの恋で知った。

   
どんなに「好き」でも、
その「好き」な気持ちを、
どこかで冷静に見れる自分を、
持っていられるといいのに。
 
でも、それができなくなってしまうのが、
追う恋をしている時の難しさかな。

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2025.06.01

信じることで現実から逃げちゃだめだ。信じることにすがっちゃだめだ。

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信じることで、いろなんな事から逃げている時期があった。
信じているって言葉や気持ちは、正義で、自分を守ってくれると思っていた恋があった。

      
「信じているから」。

「信じていたのに」。

  
この言葉って、自分を正当化してくれるし、
弱者にしてくれるし、被害者にしてくれるし。

  
この言葉に、私、逃げていた時があった。

    
「信じているから」って、
目の前の不安を、ちゃんと見ようとしないでいた。

    
「信じているから、大丈夫」
なんて思い込んでいた時があって。

   
あの時、
もっと、あの恋に向かい合えばよかった。

  
不安な予感から逃げないでいれば、
最後に、

「信じていたのに…」

なんて言葉、言わずにすんだのに。

   
あーあ。

   
信じるって、難しい。

  
相手を信じる事は、すごく大切な事だと思う。

  
けれど、「信じている」っていう気持ちを盾に、
目の前で起っている事実から、
目をそむけようとする事は、
自分を守ろうとすることは…。

   
結局、自分をどこにも進めないように
しているだけもかしれないって思う。

   
信じているから、
怖い不安に目をつぶるんじゃなくて、
それにぶつかっていける強さがほしかったな。
あの頃。

  
いくつかの別れを経験して、
そう思う。

  
信じることは、
大事な事で、強さになって。

 
でも、それを理由にしてしまった時点で、
弱さになる可能性もある気がする。

 

目の前に不安や疑問に思う出来事があった時、
「でも、信じているから」って自分に言いきかせてしまったり、
信じる気持ちにすがることで、その不安から逃げるような状況だったら、
それは、進むべき方向じゃないのかもしれない。
 
それが恋だったとしたら、その恋は本当に進むべきなのか、
怖いけど不安だけど、
ちゃんと、目の前の現実を見て、
自分の心に向かい合わなくてはいけないんだと思う。

信じることで、
逃げちゃだめだ。

信じることに、すがっちゃだめだ。

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2025.04.26

あなたにふられて本当によかったから。私は全然かわいそうじゃないから。

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別れた人に、ふられた人に、自分をどう思わせたいか。
そんなことを友達と話していました。そんなこと話したって仕方ないんだけど。

   
その友達も、私も、ふられて別れた経験があって。

  
あの時は、つらかったよね、とか、
でも、今は別れてよかった思う、とか、
そんなことを話していたら、

「別れた相手に、どう思わせたい?」

っていう話になって。
 

  
友達は、

「自分がふって不幸になって、ひどい事をした」

って思わせたいって。

 
私は…。

  
うーん。

  
友達と同じに思う時もあるし、
でも、全然逆に、

「自分と別れて、しあわせになってよかった」

って思ってもらいたいと思う時もあるし。
 
あ。
「よかった」じゃないか。
「よかったんだ…」かな。

多分、私はあの人に
「しあわせになったんだ…」って後悔させたい気持ちがある。 

  
こう思ってしまうって、
私って、やっぱり心が狭い…。
意地悪だ…。

    
  
まあ一番強く思うのは、

「かわいそうとだけは思われたくない」

ってこと。

 
前にも書いたけど、
ある人と別れた時、最期に会った時、
私、ボロボロになってて、
体重もすごく減っちゃってて、
顔もやつれていて。

   
彼の最後の私への印象は、多分、
「かわいそう」だったと思う。

 
実際に、別れ話をしている時にも、
「かわいそうで…」
って言われたし。

 
でも、今でも、「かわいそう」って思われていたら、
すごくやだ。

 
私、あなたと別れて全然かわいそうなんかじゃなかったし。

 
別れたから、今の自分に、今の人生にたどりつけたし。
 
ふられてよかった。
別れてよかった。
って本気で思ってる。

私はかわいそうじゃなかったから。  

  
なーんてことを、
ふられ経験がある友達と電話で話しました。

 
そんなこと、話している時点で、
ふたりとも、まだ過去に、
何かしら気持ちが残っているのかもしれないよね。

  
未練があるとかじゃないけど。

 
自分をふった人への、
強がりなのかな。

  
変な強がり。

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2025.03.30

失恋は苦しい。つらくて、みじめで、悔しくて、悲しくて、本当に苦しい。

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一度は別れたけど、よりを戻して付き合っていた彼。
その彼から再度別れの言葉を言われてしまって…。
そんなコメントをもらいました。


この前の電話では
「別れたくない」、「好きだから傍にいたい」
などと相手の気持ちも考えないでずいぶん勝手なことを言ってしまいました。

    
言ってしまいう。
まだ自分は好きだから。

「はい」なんて、すぐに別れを受け入れるのは、難しいと思う。

   
頭では、
「もう別れを受け入れるしかない」って分かっていても、
心は、「絶対に無理。失うなんて…」って
かたくなに別れを拒もうとして…。

    
私はそうだった。     
  
私の経験した別れと、コメントくださった方の状況は、似ている。

    
別れの理由が、
相手に好きな人ができたわけではありません。
ただ、私のことを恋人として好きになれなくなった。
  
というところ。

   
でも、私は 
だとしたら仕方ないですよね。 
ってすぐには思えなかった。

   
相手に好きな人ができたのではないなら、なんとかなるんじゃないかって、
思ってしまった時期があった。

   
でも、なんとかなんてならなかったけど。

       
私は、別れ話を言われたから自分の気持ちが落ち着くまで、
1ヵ月ぐらい時間をもらって、
自分が冷静になれたところで、再度別れ話をした。

   
少しでも時間がたてば、もしかしたら…、
っていう気持ちも少しはあったんですが、
結局は気持ちはどんどん離れていくばかりだったけど。

    
それでも好きなんです。
初めて私を好きだと言ってくれた人だから。
 
  
そうか…。

   
「それでも好き」。

  
この気持ち、つらい。

    
もうだめだと分かっていても、
相手に気持ちがないという事実があっても、
「それでも好き」っていう気持ちが、
消えてくれない。

     
でも不思議なのが
こんなにつらくて苦しいのに泣けないんです。
現実を受け入れられていないからでしょうか。
泣けば楽になれるのか、強くなれるのか…。

   
泣けた方が、私は、楽になれるような気がする。
心が疲弊するぐらい泣けると、
その時は少しだけでも、心が軽くなるような気がした。

   
でも、あまりに悲しいと泣けない事、ある。

   
私も、あまりの悲しさで、すぐに涙が出なかった時があった。

    
心が凍ったみたいだった。

    
泣けない時の方が、ずっとずっとつらかった。
  
失恋ってこんなに苦しいもんなんですね。
こんな自分が嫌で仕方ないです。

   
確かに、失恋は苦しい。

   
つらくて、みじめで、悔しくて、悲しくて。
本当に苦しい。

   
でも失恋は、苦しさだけじゃなくて、
自分を成長させてくれる経験でもあると思う。

   
どうここから歩いていくか、
自分を知る道のりでもあると思う。

   
「起ることに無駄な経験なんてない」。

    
私はこの言葉を信じて、ずっと人生を歩いています。

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2025.03.16

つらく終わった恋でも、きらって光って見える時が景色がある。

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恋って、恋ごとに、忘れられない光る思い出がある。
どんなにひどい終わり方をした恋でも、光る思い出は、ある。
     
終わった恋をふっと思うと、
光る景色みたいな思い出が浮かぶ時がある。

  
それは、恋ごとにいくつかの景色があって。
でも別に、特別な思い出じゃなくて。

  
なんだろう。
こういう風に心に浮かぶ思い出って、
あの時、あの人のことが、
一番好きだった時の景色なのかな。

  
海に向かう、車の中。
窓を開けた時、
ちょうど海の匂いがする風が吹いてきて、
気持ちよかった記憶とか。

  
夜の道を、
遠回りしてふたりで歩いたあの日とか。

  
彼の部屋に行くまでの、
坂道でのわくわく感とか。

  
待ち合わせの場所であの人を見つけて、
走っていきたくなるような気持ちとか。

  
そういうのが、
時々、心に浮かぶ。

  
恋が終わってしばらくは、
そんな思い出さえ苦痛だったけど、
時間がたくさん流れていくと、
そういう思い出の景色が、
きらって光って見える時がくるのかもしれない。

  
終わりの時のつらい記憶は、
それは、心に深い傷として残っているけど、
光る思い出は、また心の違う場所にある気がする。 
     
なつかしいな。

  
これは、
胸の奥が、ちくりと痛いような、
そんな光る思い出が、
少し愛おしく感じられる場所まで、
私が来れたからなのかな。
 
まあ、暗く黒い気持ちになる時も、あるけれど。 

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2025.03.09

別れた彼と一緒に行っていたお店にはいけないな。

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別れた彼といっしょに行っていたお店、
もう行けないのはちょっと残念。
でも、どんなに気に入っていたお店でも、
彼とよく行っていたお店にはやっぱり行けない。

     
友達とかと、
どこかへごはん食べに行こうかってことになって、
おすすめのお店を聞かれた時、
「ココだ」って思う所があっても、行けないお店がある。

   
それは、
別れた彼といっしょに行っていたお店。

  
前にもブログで書いたけど、
別れた人といっしょに行っていたお店には、
行けないんだ。私は。

  
またそこで、あの人に会ってしまう可能性もあるし。

  
それに、
その彼といっしょにいた頃の自分を思い出すのも、
ちょっとイヤだし。
  

    
昔の自分は嫌いじゃないけど、
今の自分とは違う。

  
あの人といっしょにいた時の私と、
今の私は、
多分、全然違う。

 
あの頃は、あの人の前ではよく笑っていたけど、
本当はがまんしていた気持ち、いっぱいあったし、
いつもどこかで泣きそうな気持ちでいた。

  
好きだったけど、
どこかでつらかった。

    
つらかったのに、
いっしょにいることがやめられなかった。

 
そんな気持ちを、
あの頃ふたりで行っていたお店に行ったら、
ぐっと思い出しちゃう気がするから。
  

 
おいしいお店いっぱいあるのにな。

  
雰囲気がいいお店、いっぱいあるのにな。

  
彼が教えてくれたお店なら、まだしも、
私が開拓したお店に行けないっていうのは、
ちょっと残念というか。

    
まあ、仕方ないか。
  

   
あの人は、あのお店に行っているのかな。
違う誰かと。
  

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2025.03.01

ふられた時、仕事の忙しさが心を支えてくれてた。人生の小さな自信にもなった。

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あの時、ふられたばかりの頃のあの時、
忙しさに救われていた。
もっともっと忙しくなれって思ってた。

     
時々、「すごく忙しくてつかれる」なんて思って、気持ちが落ちることがあるけれど、
あの時期、彼にふられたあの時期の方が、
格段に忙しかった。

  
今の忙しさなんて比じゃない。

  
でに、あの時は、
どんなに忙しくても平気だった。

  
頭で、失恋したことを、彼がいない現実を、
考えられないように、忙しくしていたかったから。

  
忙しさに逃げていた。
あの時。

  
別の失恋をした時も、
すごい忙しさの波を、自分で作っていた。

  
忙しいことは、ありがたいことだった。

  
それに、そんながむしゃらに忙しかった時は、
自分を伸ばせる時期なんだって、
今は思える。

  
あの時の、あの忙しさと、
それを越えようとするがんばりがあったから、
先に進めて、
生きる力が少しついたんだと思うの。

  
そういう時期って、人生に必要なんだと思う。
どんなにつらくても。
私は、あのついていくだけで必死の忙しさがあってよかった。

  
あの切ないけど、激務の時期は、
自分に力がつく時だ。

  
忙しかったり、大変だったりする時期は、
先に進むための力がつく時だ。

  
生きる力をつけるための、
チャンスのような気がする。

  
今の忙しさなんて、
あの時に比べたら、
忙しくない。

 
それに、あの時期に超えてきた経験は、
そのあとの仕事でも、自分を支えてくれたし、
今も支えられている。
 
あそこを乗り越えられたことが、
自分の小さな自信にもなっているし。

  
ありがたい。
いろんな事が起こって、
いろんな事を経験できるのは。

  
感謝しなくては。  

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2025.02.09

音楽も聴けない。本も読みたくない。ただただ絶望に沈んでいたい。

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落ち込んでいる時って、音楽に心を救われる時ってある。
元気になれる時がある。
でも、絶望のどん底にいた時、歌も、何も、心に届かない事が、あった。

 
元気がなかったり、何かうまくいかなかったり、
つらいコトがあった時、
音楽に救われることって、私は結構ある。

 
ある時、ある歌を聴いて、
心が救われたことは多い。

 
今も、部屋ではほとんどFMをかけっぱなしにしているし、
電車での長い移動の時は、音楽を聴いているし。

 
でも、その音楽にさえ、心が響かない時期があった。

   
好きだった人に、信じていた人に、
別れを告げられた時。

  
もう自分がどうしていいのか、考えられなくて、
未来への道も全然見えなくて、
人生に絶望してしまっていた。

  
もう前に進む力もないし。

  
人生が、どこまでも沈んでいくような、
どうやって生きていっていいのか分からなくなっていた時期。

  
多分、あれが悲しみの底っていうのかもしれない。

  
その時、
全く音楽を聴けなかった。

 
聴けなかったっていうか、
聴こうっていう気が起きなかった。

  
もう、音も何もない世界で、
じっとしていたいって思って生きてた。

 
音楽だけじゃなくて、
本も読めなかったし。

  
もう絶望の淵みたいな所にいる時って、
そういう風になってしまうことが、
あるのかもしれないって思う。

  
ずっとじゃないんだけどね。
ある一瞬の時期なんだと思うんだけどね。

  
しばらくすると、
心が音楽とか、本とかを欲してくるし。

  
そうなると、今度は、
水をごくごく飲むように、
音楽を聴き続けたり、
本をずっと読み続けたり。

  
私は、そんな感じの時がありました。

   
  
音楽にも心が救われなかったあの時は、
沼の底にいるような記憶。

 
光が届かない、沼の底で、じっとしてるだけの日々。

 
遠くの上の方から、光が射してくるまで、
じっとしているしかなかった。

    
その悲しみの沼の底は、とても静かだった。

  
今でも、心の一部は、
その底に残っているような気がします。

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2025.02.02

嫌われたらどうしようって、いつもいつも怖かった。びくびくしてた

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私、怖がりながら、びくびくしながら、人を好きになっていたことがある。
あの時、すごく苦しかった。
いつも心の中に不安があった。
でも、好きだった。それが恋だと思っていた。


その人のこと、好きだった。
でも、その人がイヤな気持ちになることを言ったら、
嫌われるんじゃないかって、
何かひと言を言うのも、怖かった。

   
嫌われたらどうしようって、
いつもいつも、怖かった。

    
この恋を手放してしまったら、
もう次はないんじゃないかって、
怖かった。

    
だから、いろんな事をがまんしていたような気がする。

       
本当は言いたいことも、
本当は甘えたいことも、
文句を言いたいことも、
助けてほしいことも、
ほっといてほしいことも、
みんなみんな言えないでいた。

     
言わなくても、
その人の事が、「好き」だから平気なはずだって、
思い込もうとしていた。

     
自分の行動への、言葉への、
彼の反応にいつもびくびくしていたの。

    
まわりからは、そんながまんしている恋は、
やめた方がいいって言われたけど、
やめることはできなかった。

      
その人がいなくなることが、
すごくすごく怖かったから。

     
  
今、思えば、なんであんなに怖がっていたんだろうって思えるけど…。

      
  
恋の渦の中にいると、
自分の心を見失ってしまうこと、あるよね。

     
私は、見失っていた。

    
自分にとって何が大切なのか、
そんな事さえ、分からないようになっていた。

    
でも、結局、そんなつらい心での恋は続かなくて。

    
最後は、
半分、自分からその恋を降りたような感じになって。

       
やっぱり、どんなに好きでも、
びくびくしながらの「好き」は、本当の恋じゃないと思う。

    
本当の自分の気持ちを言えないほどの「好き」は、
自分も、そして相手も縛ってしまうと思う。

 
それは、いい恋とは言えないような気がする。
それは、本当の恋じゃないような気がする。

      
あの頃の私のところに行って、そう言ってあげたい。

     
その恋を手放した方が、未来が開けるよって、
自由になって、新しい恋ができるから、大丈夫だよって、
言ってあげたいな。

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2025.01.26

別れたあの人との思い出は特別な光を持ってて

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終わった恋の思い出って時々光る。
ものすごくぴかっと光ったり、ほんのりあったっかく光ったり。
そして少し悲しくて切なくなる。

     
好きだった人との、終わった恋の思い出って、
もちろんつらい別れの記憶は、心に強く残るけど、
楽しかった思い出は、
特別な光を持って、残っていると思う。

  
別れて時間がたてばたつほど、
楽しかった思い出は、きれいになっていく気がする。

  
そして、その思い出は、
ふとした時に、浮かんできて、
ぴかりと光る。

  
ああ、あんなに楽しかったのにな、
あんなにしあわせだったのにな、
って。

  
その思い出は、
まぶしいくらいに光る時もあるし、
ほんのり見える光りのように、優しく光る時もある。

 
でも、その光る思い出が、心に浮かぶと、
元気になる時もあるけど、
なんとなく切なくなる方が多いかな。
  
  
笑顔の思い出かもしれないけど、
それを思い出すと、
切なさの方が心を覆う日がある。


なんか、かすかな切ない感情も、
ぐっと心の表面に押し出されるような日がある。

  
あの人は元気かな。

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