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2025.06.29

どれだけ傷ついていても、その彼の事が好きで離れられなくて

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優しいって感じるコトや、自分で、相手に対してこれは優しさだって思うコトって、人それぞれなんだと思う。
「これが優しさだ」っていう定義は、ないと思う。
  
     
この前聞かれた。
  
「遠野さんの彼は優しいですか」って。

 
そして、
「私の彼は優しくないんです。きっと優しくない」
って。

  
そうEが言った。

 
でも、Eは、その優しくないって言っている、
彼の事がすごく好きで…。   
  
私、思うんだ。

  
「優しい」って、
人によって、感じ方って全然違うんじゃないかって。

 
   
私が、前に付き合っていた彼って、
すごく厳しい人だった。
自分にも、他人にも。

 
今思えば、
いや、その時も心の奥では思っていたのかもしれない、
彼の思いやりは、私にとっては、優しくなかった。

    
その人は、相手に厳しく怒ったり、指示したり、
そうすることが、相手への優しさだと思っていたと思う。

  
相手の事を想っているから、怒る。
相手の事を好きだから、自分が正しいと思う道へ導く。
みたいな。

 
そんな彼だった。

 
でも、彼が怒るたび、考えを押し付けられるたび、
胸が痛かった。

 
でもでも、どれだけ傷ついていても、
その彼の事が、好きで離れられなくて、

「自分が悪いんだ」、

「彼は私のことを想って言ってくれているんだ」

って思おうとしていた。

  
結局は、私がふられるカタチで、
その恋は終わったんだけど、
離れてみて、
どれだけ自分ががまんして、傷ついていたのか、
分かった。
  
  
その彼の思う「優しさ」と、
私が思う「優しさ」が違っていたんだ。

  
でも、彼の厳しさを、
本当に自分のため優しさだって、
思える人はいるんだろうな。

    
だからね、E、
優しさって、人によって、
感じ方とか、受け取り方って違うと思う。

  
ただ、自分の心がいっしょにいる人の前で、
のびのびしていられるか、
っていうことは、大切な気がする。

   
優しくないって思っても、
いっしょにいて、心が深呼吸できるようであれば、
その恋は、大丈夫なんじゃないかな。

 
    
Eの「遠野さんの彼は優しいですか」
っていう質問の私の答えはこう。

  
「優しいよ。私を自由にさせてくれているから」

 
彼は、私を信じてくれて、
私も彼を信じていて、
だから心でぎゅっと手をつないで、
お互い、自分の道を安心して進んでいるっていう感じ。

  
相手の生き方を、尊重できることが、
そしてそれを応援したり、応援されたりすることが、
私にとって、優しさのひとつかもしれない。

  
E、彼の前でEの心はのびのびしてますか? 

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2025.06.15

別れてひとりになるのがこわいから、「好き」って思い込もうとしていた。

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「好き」っていう気持ちだけで、いろいろ判断するのは、気をつけないとこわい時があると思う。
「好き」だからって、すべてをがまんする必要はないのに。

     
「好き」っていう気持ちは、
時に、自分の本当の気持ちを
見えなくしまう事があるような気がする。

  
その人といて苦しいのに、
「好き」だから大丈夫、
きっと大丈夫って思うこととか。

  
その人のそばにいると、
つらい事の方が多いのに、
「好き」だから、こんなの乗り越えられるはずって、
思おうとしたり。
がまんしたり。

   
ふたりに起る困難とか、問題を、
ふたりでいっしょに越えようって、
手を取り合ってがんばるのとは違って、
自分ひとりが、がんばろうとしている時の場合の話。

    
「好き」だから、
自分の本当の気持ちを抑えすぎていたり、
言いたいことも言えないでいる場合は、
その「好き」な気持ちを、
冷静に見る必要があるような気がする。

  
私が、そういう「好き」を経験したことがあるから。

 
その人と離れるまで、
自分のその人が「好き」な気持ちを、
疑ったことがなかったけど…。

 
離れてみて、
ひとりになる怖さから逃げるために、
その人のことを「好き」って思おうとしていたのかも、
って思った。

  
別れて、ひとりになるのがこわいから、
「好き」って思い込もうとしていた。

 
でも、いっしょにいる時は、
それが「好き」な気持ちだと思っていた。

 
あの時、もっと自分に問いかけてみればよかった。

   
その「好き」な気持ちは本当?
まっすぐ?
って。
 
  
「好き」っていう気持ちは、
自分の本当の心を見えなくしてしまう事もある。

 
「好き」な心は、
本当の気持ちを、見せてくれる事も多いけど、
弱い気持ちからの、
逃げる理由になってしまう事もあるって、
私は、あの恋で知った。

   
どんなに「好き」でも、
その「好き」な気持ちを、
どこかで冷静に見れる自分を、
持っていられるといいのに。
 
でも、それができなくなってしまうのが、
追う恋をしている時の難しさかな。

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2025.06.09

それはたまたま運が良くてタイミングがあっただけ

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以前一緒に仕事をしていた人たち女性3人と、数年ぶりに会った。
 
 
出会った時、みんなハードなスケジュールで仕事をしていた。
 
でも、今はそれぞれ違う道を進んでいる。
  

私は相変わらず、無我夢中な感じでとりあえず進んでいるけど、
「仕事はもういいかな…」って言ってる人がいて、驚いた。
その人が一番、めちゃくちゃがんばって動いていた人だったのに。
仕事が大好きって人だったのに。
 

仕事は続けているけど、
「なんか飽きてきちゃった。もうやめようかな」って言ってる人もいて。
え。今もバリバリプロジェクトのマネージャーをやっているのに…。
先を考えて、やりたいことがあるのだそう。
 
今回に限らず久々に誰かに会うと、
人生がまったく変わっている人がいて驚く。
 

本当に本当に人生、何が起こるか分からないと実感する。
 

私だって、今、この新しい状況でこのプロジェクトに加わわっているなんて、思ってなかった。
あの時、一日でも動くのが遅かったら、私はここにはいれなかったし。
他で提案が通っていたら、このプロジェクトの存在は知らなかったし。
 
人生は、運とタイミングなんだと思う。

そして、自分で進む勇気と、あきらめないこと。
私はそう思う。
 
この日も言われた。
よくそこの場所にいけたね。

 
でも、それはたまたま運が良くてタイミングがあっただけ。
あとは、前向きさ、か。
 

本当に本当に本当に、人生何か起こるか分からない。
 
私は、自分の人生を信じて、進んでいる方向はきっと正しいと信じで、
全力で走るだけ。
 
 
全力で走れることに感謝して、明日からもがんばります。

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2025.06.01

信じることで現実から逃げちゃだめだ。信じることにすがっちゃだめだ。

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信じることで、いろなんな事から逃げている時期があった。
信じているって言葉や気持ちは、正義で、自分を守ってくれると思っていた恋があった。

      
「信じているから」。

「信じていたのに」。

  
この言葉って、自分を正当化してくれるし、
弱者にしてくれるし、被害者にしてくれるし。

  
この言葉に、私、逃げていた時があった。

    
「信じているから」って、
目の前の不安を、ちゃんと見ようとしないでいた。

    
「信じているから、大丈夫」
なんて思い込んでいた時があって。

   
あの時、
もっと、あの恋に向かい合えばよかった。

  
不安な予感から逃げないでいれば、
最後に、

「信じていたのに…」

なんて言葉、言わずにすんだのに。

   
あーあ。

   
信じるって、難しい。

  
相手を信じる事は、すごく大切な事だと思う。

  
けれど、「信じている」っていう気持ちを盾に、
目の前で起っている事実から、
目をそむけようとする事は、
自分を守ろうとすることは…。

   
結局、自分をどこにも進めないように
しているだけもかしれないって思う。

   
信じているから、
怖い不安に目をつぶるんじゃなくて、
それにぶつかっていける強さがほしかったな。
あの頃。

  
いくつかの別れを経験して、
そう思う。

  
信じることは、
大事な事で、強さになって。

 
でも、それを理由にしてしまった時点で、
弱さになる可能性もある気がする。

 

目の前に不安や疑問に思う出来事があった時、
「でも、信じているから」って自分に言いきかせてしまったり、
信じる気持ちにすがることで、その不安から逃げるような状況だったら、
それは、進むべき方向じゃないのかもしれない。
 
それが恋だったとしたら、その恋は本当に進むべきなのか、
怖いけど不安だけど、
ちゃんと、目の前の現実を見て、
自分の心に向かい合わなくてはいけないんだと思う。

信じることで、
逃げちゃだめだ。

信じることに、すがっちゃだめだ。

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