ふられた時、仕事の忙しさが心を支えてくれてた。人生の小さな自信にもなった。
あの時、ふられたばかりの頃のあの時、
忙しさに救われていた。
もっともっと忙しくなれって思ってた。
時々、「すごく忙しくてつかれる」なんて思って、気持ちが落ちることがあるけれど、
あの時期、彼にふられたあの時期の方が、
格段に忙しかった。
今の忙しさなんて比じゃない。
でに、あの時は、
どんなに忙しくても平気だった。
頭で、失恋したことを、彼がいない現実を、
考えられないように、忙しくしていたかったから。
忙しさに逃げていた。
あの時。
別の失恋をした時も、
すごい忙しさの波を、自分で作っていた。
忙しいことは、ありがたいことだった。
それに、そんながむしゃらに忙しかった時は、
自分を伸ばせる時期なんだって、
今は思える。
あの時の、あの忙しさと、
それを越えようとするがんばりがあったから、
先に進めて、
生きる力が少しついたんだと思うの。
そういう時期って、人生に必要なんだと思う。
どんなにつらくても。
私は、あのついていくだけで必死の忙しさがあってよかった。
あの切ないけど、激務の時期は、
自分に力がつく時だ。
忙しかったり、大変だったりする時期は、
先に進むための力がつく時だ。
生きる力をつけるための、
チャンスのような気がする。
今の忙しさなんて、
あの時に比べたら、
忙しくない。
それに、あの時期に超えてきた経験は、
そのあとの仕事でも、自分を支えてくれたし、
今も支えられている。
あそこを乗り越えられたことが、
自分の小さな自信にもなっているし。
ありがたい。
いろんな事が起こって、
いろんな事を経験できるのは。
感謝しなくては。
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