« #もっと「好き」って言ってほしい。 | トップページ | #恋に落ちなかった瞬間 »

2023.11.30

#悲しみやつらさの真ん中にいるだけじゃ、見えない景色があると思う。

Img_2994_  
 
しあわせすぎたり、悲しすぎたりする時って、
まわりが見えなくなってしまうことがあると思う。
そして、自分自身も見えなくなってしまうような気がする。

  
好きだった人にさよならを言われたら、それはもう失意のどん底に落ちると思う。
自分は最高に不幸で、悲しみの渦の中。
涙は止まらないし、なぐさめの言葉も心に入ってこない。

  
自分を救ってくれるものなんて何もない。
これからずっとひとりで生きていく覚悟をしなくちゃいけない。
日々は、なんとかやり過ごすことでせいいっぱい。

  
もうまわりなんて見えないし、見たくない。

  
あまりに悲しみに近すぎて、こんな気持ちになっている時は、
本当に何も見えないと思う。

  
自分がどうしていいのか、これからをどう考えていったらいいのか、
全く見えない。

  
でもそんな時ほど、
悲しみから離れて、遠くの景色を見なくちゃいけないって思う。

  
悲しみの猛スピードで走っている時こそ、
遠くの景色をながめる時間を持たなくちゃいけないんだと思う。

  
銀色夏生さんのだいぶ前の詩の本に、
走る車からは、近くの風景は流れてしまって見えないけど、
遠くの景色なら見えるっていうようなことが書いてあった。  
これって、目に見える風景のことだけじゃなくて、心の景色のことも言っていると思ったの。

  
悲しみの猛スピードで走っている時は、
自分の気持ちとか、すぐそばの状況って、どんなに目をこらしても見えないと思う。
でも、遠くの景色ならどんなスピードで走っていても見ることはできる。

  
そして、反対に、一度自分の心を遠くに離してみて、
猛スピードで走っている自分のことを見てみると、
その先にどんな景色があるとか、
そっちに行ったら行き止まりとか、
急な山道に入るとか、
明るく開けた場所に出られるとか、
そういうのが分かると思う。

  
近くにありすぎる景色は気持ちは、見えない。

  
これは、失恋の悲しみだけに言えることじゃなくて、
しあわせの真っただ中にいる時も同じだと思う。

  
自分がしあわせだからって、その気持ちをふりかざして、近くにいる人たちを傷つけてない?
まわりの状況を冷静に見れている?
満ち足りた状況にいるからこそ、
だからこそ、少し遠くから自分を見つめなくちゃいけない時もあるはずだから。

  
絶望と悲しみの真ん中にいる時は、
悲しいのは自分だけじゃなくて、同じような想いをしている人は他にもいるって、
走る気持ちの車の中から、同じような遠くの悲しみを見ることで、
見えてくる未来があるって思う。

      
悲しすぎて、何も見えないんじゃない。
何も見ようとしていないだけなのかもしれない。

      
もし、あなたが今、失った恋のつらさの中心に立っているのなら、
ちょっと顔を上げて、少し遠くの景色を見てみて。

  
天気はどう?晴れている?
風は吹いてる?そこから今何が見える?

  
まわりの人は、みんなそれぞれの苦しみや悩み、希望を抱えて、
でも淡々と生きているよ。

   
苦しいのは自分だけじゃない。
つらい経験をしているのは自分だけじゃないない。
その先には、何か得るものがあるはずだから。

  
悲しみから離れて遠くを見ることで、そういう景色を見ることができるんだと思います。
 
 

#失意のどん底 #つらい経験のその先 #失恋 #得るもの
 

ー過去記事PIC&追記ー

|

« #もっと「好き」って言ってほしい。 | トップページ | #恋に落ちなかった瞬間 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« #もっと「好き」って言ってほしい。 | トップページ | #恋に落ちなかった瞬間 »