2025.05.06

起ってしまった出来事にすがって泣ければ。でも

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人生に絶望した時、ある人から言われた言葉がある。
もう、生きていく希望を見失ってしまいそうなギリギリのところに行きそうだった時、
言われた言葉。 
 
振り向くな。
振り向くな。
後ろには夢がない。

  
これは、寺山修司氏の言葉だそう。

 
その言葉を、ある人が私に電話で言ってくれた。

  
人生の中で、
取り返せない絶望の中にいた時。

 
もう、後ろも前も真っ暗で、
自分の存在さえ感じることができなくなりそうだったあの時。 

     
そんな時に、この言葉を言ってもらって…。

  
聞いた瞬間、涙が溢れた。

   
その言葉の意味と、
それを、その時の私に言ってくれた、
その人の心の深さが痛みにしみてしまって…。

        
この言葉って、取り方によっては、
私は、厳しい言葉だと思う。

   
自分の身に起ってしまった出来事が、
それがどんなにひどいことでも、
それについては、一切ふれず、
なぐさめることもなく、
ただ前を向けって、
もう後ろは振り返っちゃいけないって、
過去への気持ちはばっさり切って、
そうやって進めってことで。

  
それがどれだけ、強さが必要なことか。

 
過去にすがって、
起ってしまった出来事に、すがって泣ければ、
その方が、楽な時もあると思う。

 
でも、「振り向くな。前に進め」って。
 
   
でも私は、この言葉に生きていく力をもらった。

  
私の中にある「強さ」を信じて、言ってくれた言葉だったと思うから。

    
どんなに泣いても、叫んでも、
胸をかきむしっても、
過去には手は届かないし、
どうにもならない。

  
今が現実で、
自分が進めるのは、未来しかない。

 
負けちゃだめだ。  

  
悲しみと、自分の弱さに負けちゃだめだ。

  
夢は、道は、未来にしかないんだ。   
  
振り向くな。
振り向くな。
後ろには夢がない。

 

私はこの言葉に今も救われる時がある。

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2025.04.29

明るさが、誰かを傷つけてしまうこともある。

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自分に悪気がなくても、相手を傷つけようなんて思っていなくても、
自分の言葉が行動が、存在が人を傷つけてしまうことってある。

   
私、友達に言われたことがあるんだ。

 
私の明るさとか、元気のよさに傷つく時があるって。

  
「えっ」て思ったけど、
そういう事もあるんだ。

 
その友達は、仲が悪いわけでもなく、
今でもご飯を食べに行ったりしています。

  
その友達が言うには、
いつも元気なところが、
いっしょにいて疲れる時があるんだって。

  
そうかあ。

 
何でも楽しそうなところが、
信じられなくて、
時々話していると傷つくんだって。

     
そうかあ。

   
でも、分かるような気がするんだ。

  
私も、好きなんだけど、
いっしょにいると、
なんとなく心がざわついてしまう人っているから。

   
その人の言葉に、反抗したくなってしまう時があるから。

 
で、ひとりになった時、
そんな気持ちになった自分を責めてしまって、
ちょっと落ち込む。

   
でも、それは、誰が悪いとかじゃなくて、
合わないんだろうな、その人と、心のどこかが。
って思う。

  
でもでも、
だから、仕方ないやって片付けてしまうんじゃなくて、
自分の存在が人を傷つけてしまう事もあるって、
分かっておくことも、
必要なんじゃないかと思う。

 
人と自分は違うから。

  
明るさが、誰かを傷つけてしまうこともあるんだ。

 
前向きさが、ナイフみたいになってしまう時もあるんだ。

 
  
それを知っておくことは、
大事なんじゃないかなと思ってる。

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2025.04.27

虹を見たあとには、いい事が起こるから

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昨日の夕方、虹を見た。
 
灰色の雨雲の上に青空があって、虹は雲の途中で消えてた。
でも、雨雲の前の虹は、くっきりで。
 
目の前で虹を見たのは、久々。
 
これは絶対にいい事がある、って思った。
絶対にある。
 
私がはっきとした虹を見たあとは、いい事が起こることが多い。
 
数年前も、叶うことは難しいかもしれないと思っていた事を追っていた時、
その年は虹を何回も見た。
1年でこんなに虹を見ることなんてなかった。
 
そしたら、まさかの夢が叶ったってことがあった。
 
今回もきっといい事が起こるって、思う。
信じる。

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2025.04.26

あなたにふられて本当によかったから。私は全然かわいそうじゃないから。

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別れた人に、ふられた人に、自分をどう思わせたいか。
そんなことを友達と話していました。そんなこと話したって仕方ないんだけど。

   
その友達も、私も、ふられて別れた経験があって。

  
あの時は、つらかったよね、とか、
でも、今は別れてよかった思う、とか、
そんなことを話していたら、

「別れた相手に、どう思わせたい?」

っていう話になって。
 

  
友達は、

「自分がふって不幸になって、ひどい事をした」

って思わせたいって。

 
私は…。

  
うーん。

  
友達と同じに思う時もあるし、
でも、全然逆に、

「自分と別れて、しあわせになってよかった」

って思ってもらいたいと思う時もあるし。
 
あ。
「よかった」じゃないか。
「よかったんだ…」かな。

多分、私はあの人に
「しあわせになったんだ…」って後悔させたい気持ちがある。 

  
こう思ってしまうって、
私って、やっぱり心が狭い…。
意地悪だ…。

    
  
まあ一番強く思うのは、

「かわいそうとだけは思われたくない」

ってこと。

 
前にも書いたけど、
ある人と別れた時、最期に会った時、
私、ボロボロになってて、
体重もすごく減っちゃってて、
顔もやつれていて。

   
彼の最後の私への印象は、多分、
「かわいそう」だったと思う。

 
実際に、別れ話をしている時にも、
「かわいそうで…」
って言われたし。

 
でも、今でも、「かわいそう」って思われていたら、
すごくやだ。

 
私、あなたと別れて全然かわいそうなんかじゃなかったし。

 
別れたから、今の自分に、今の人生にたどりつけたし。
 
ふられてよかった。
別れてよかった。
って本気で思ってる。

私はかわいそうじゃなかったから。  

  
なーんてことを、
ふられ経験がある友達と電話で話しました。

 
そんなこと、話している時点で、
ふたりとも、まだ過去に、
何かしら気持ちが残っているのかもしれないよね。

  
未練があるとかじゃないけど。

 
自分をふった人への、
強がりなのかな。

  
変な強がり。

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2025.03.30

失恋は苦しい。つらくて、みじめで、悔しくて、悲しくて、本当に苦しい。

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一度は別れたけど、よりを戻して付き合っていた彼。
その彼から再度別れの言葉を言われてしまって…。
そんなコメントをもらいました。


この前の電話では
「別れたくない」、「好きだから傍にいたい」
などと相手の気持ちも考えないでずいぶん勝手なことを言ってしまいました。

    
言ってしまいう。
まだ自分は好きだから。

「はい」なんて、すぐに別れを受け入れるのは、難しいと思う。

   
頭では、
「もう別れを受け入れるしかない」って分かっていても、
心は、「絶対に無理。失うなんて…」って
かたくなに別れを拒もうとして…。

    
私はそうだった。     
  
私の経験した別れと、コメントくださった方の状況は、似ている。

    
別れの理由が、
相手に好きな人ができたわけではありません。
ただ、私のことを恋人として好きになれなくなった。
  
というところ。

   
でも、私は 
だとしたら仕方ないですよね。 
ってすぐには思えなかった。

   
相手に好きな人ができたのではないなら、なんとかなるんじゃないかって、
思ってしまった時期があった。

   
でも、なんとかなんてならなかったけど。

       
私は、別れ話を言われたから自分の気持ちが落ち着くまで、
1ヵ月ぐらい時間をもらって、
自分が冷静になれたところで、再度別れ話をした。

   
少しでも時間がたてば、もしかしたら…、
っていう気持ちも少しはあったんですが、
結局は気持ちはどんどん離れていくばかりだったけど。

    
それでも好きなんです。
初めて私を好きだと言ってくれた人だから。
 
  
そうか…。

   
「それでも好き」。

  
この気持ち、つらい。

    
もうだめだと分かっていても、
相手に気持ちがないという事実があっても、
「それでも好き」っていう気持ちが、
消えてくれない。

     
でも不思議なのが
こんなにつらくて苦しいのに泣けないんです。
現実を受け入れられていないからでしょうか。
泣けば楽になれるのか、強くなれるのか…。

   
泣けた方が、私は、楽になれるような気がする。
心が疲弊するぐらい泣けると、
その時は少しだけでも、心が軽くなるような気がした。

   
でも、あまりに悲しいと泣けない事、ある。

   
私も、あまりの悲しさで、すぐに涙が出なかった時があった。

    
心が凍ったみたいだった。

    
泣けない時の方が、ずっとずっとつらかった。
  
失恋ってこんなに苦しいもんなんですね。
こんな自分が嫌で仕方ないです。

   
確かに、失恋は苦しい。

   
つらくて、みじめで、悔しくて、悲しくて。
本当に苦しい。

   
でも失恋は、苦しさだけじゃなくて、
自分を成長させてくれる経験でもあると思う。

   
どうここから歩いていくか、
自分を知る道のりでもあると思う。

   
「起ることに無駄な経験なんてない」。

    
私はこの言葉を信じて、ずっと人生を歩いています。

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2025.03.16

つらく終わった恋でも、きらって光って見える時が景色がある。

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恋って、恋ごとに、忘れられない光る思い出がある。
どんなにひどい終わり方をした恋でも、光る思い出は、ある。
     
終わった恋をふっと思うと、
光る景色みたいな思い出が浮かぶ時がある。

  
それは、恋ごとにいくつかの景色があって。
でも別に、特別な思い出じゃなくて。

  
なんだろう。
こういう風に心に浮かぶ思い出って、
あの時、あの人のことが、
一番好きだった時の景色なのかな。

  
海に向かう、車の中。
窓を開けた時、
ちょうど海の匂いがする風が吹いてきて、
気持ちよかった記憶とか。

  
夜の道を、
遠回りしてふたりで歩いたあの日とか。

  
彼の部屋に行くまでの、
坂道でのわくわく感とか。

  
待ち合わせの場所であの人を見つけて、
走っていきたくなるような気持ちとか。

  
そういうのが、
時々、心に浮かぶ。

  
恋が終わってしばらくは、
そんな思い出さえ苦痛だったけど、
時間がたくさん流れていくと、
そういう思い出の景色が、
きらって光って見える時がくるのかもしれない。

  
終わりの時のつらい記憶は、
それは、心に深い傷として残っているけど、
光る思い出は、また心の違う場所にある気がする。 
     
なつかしいな。

  
これは、
胸の奥が、ちくりと痛いような、
そんな光る思い出が、
少し愛おしく感じられる場所まで、
私が来れたからなのかな。
 
まあ、暗く黒い気持ちになる時も、あるけれど。 

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2025.03.09

別れた彼と一緒に行っていたお店にはいけないな。

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別れた彼といっしょに行っていたお店、
もう行けないのはちょっと残念。
でも、どんなに気に入っていたお店でも、
彼とよく行っていたお店にはやっぱり行けない。

     
友達とかと、
どこかへごはん食べに行こうかってことになって、
おすすめのお店を聞かれた時、
「ココだ」って思う所があっても、行けないお店がある。

   
それは、
別れた彼といっしょに行っていたお店。

  
前にもブログで書いたけど、
別れた人といっしょに行っていたお店には、
行けないんだ。私は。

  
またそこで、あの人に会ってしまう可能性もあるし。

  
それに、
その彼といっしょにいた頃の自分を思い出すのも、
ちょっとイヤだし。
  

    
昔の自分は嫌いじゃないけど、
今の自分とは違う。

  
あの人といっしょにいた時の私と、
今の私は、
多分、全然違う。

 
あの頃は、あの人の前ではよく笑っていたけど、
本当はがまんしていた気持ち、いっぱいあったし、
いつもどこかで泣きそうな気持ちでいた。

  
好きだったけど、
どこかでつらかった。

    
つらかったのに、
いっしょにいることがやめられなかった。

 
そんな気持ちを、
あの頃ふたりで行っていたお店に行ったら、
ぐっと思い出しちゃう気がするから。
  

 
おいしいお店いっぱいあるのにな。

  
雰囲気がいいお店、いっぱいあるのにな。

  
彼が教えてくれたお店なら、まだしも、
私が開拓したお店に行けないっていうのは、
ちょっと残念というか。

    
まあ、仕方ないか。
  

   
あの人は、あのお店に行っているのかな。
違う誰かと。
  

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2025.03.01

ふられた時、仕事の忙しさが心を支えてくれてた。人生の小さな自信にもなった。

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あの時、ふられたばかりの頃のあの時、
忙しさに救われていた。
もっともっと忙しくなれって思ってた。

     
時々、「すごく忙しくてつかれる」なんて思って、気持ちが落ちることがあるけれど、
あの時期、彼にふられたあの時期の方が、
格段に忙しかった。

  
今の忙しさなんて比じゃない。

  
でに、あの時は、
どんなに忙しくても平気だった。

  
頭で、失恋したことを、彼がいない現実を、
考えられないように、忙しくしていたかったから。

  
忙しさに逃げていた。
あの時。

  
別の失恋をした時も、
すごい忙しさの波を、自分で作っていた。

  
忙しいことは、ありがたいことだった。

  
それに、そんながむしゃらに忙しかった時は、
自分を伸ばせる時期なんだって、
今は思える。

  
あの時の、あの忙しさと、
それを越えようとするがんばりがあったから、
先に進めて、
生きる力が少しついたんだと思うの。

  
そういう時期って、人生に必要なんだと思う。
どんなにつらくても。
私は、あのついていくだけで必死の忙しさがあってよかった。

  
あの切ないけど、激務の時期は、
自分に力がつく時だ。

  
忙しかったり、大変だったりする時期は、
先に進むための力がつく時だ。

  
生きる力をつけるための、
チャンスのような気がする。

  
今の忙しさなんて、
あの時に比べたら、
忙しくない。

 
それに、あの時期に超えてきた経験は、
そのあとの仕事でも、自分を支えてくれたし、
今も支えられている。
 
あそこを乗り越えられたことが、
自分の小さな自信にもなっているし。

  
ありがたい。
いろんな事が起こって、
いろんな事を経験できるのは。

  
感謝しなくては。  

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2025.02.16

別れた後も彼に会ってしまって。期待しちゃいけないって思いながら会って、やっぱり傷ついて。

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心に別れの深い傷があって、でも新しい恋をしたいと思っている。
でも、でも、別れた彼への想いが消せない。
そんなKさんからコメントをもらいました。

     
私は、お互い違う人間なんだから、
価値観が違っても、彼と歩んでいくつもりだったけれど、
彼はダメだった。受け入れてもらえなかった。
受け入れてもらいたかったけれど。

 
Kさんからもらったコメント、切なかった。
 
でも、心にぐっときた。
    
そして、読んでいて、失った恋について考えた。
自分の終わった恋を、思い返した。

     
彼に会いたい。
でも、私の会いたい彼ではないかもしれない。
私の会いたい彼でなくても、彼に会いたい。
でも、彼に会って、また現実を突きつけられて、傷ついて…。

  

この気持ち、
まるで自分の気持ちのような気がしてしまった。

   
私は、別れた後も、別れた彼に会ってしまって、
期待しちゃいけないって思いながら会って、
やっぱり傷ついて。
そんな時期があった。

   
別れた後は、
自分の望む状況にはなれないふたりって、
覚悟して会ったはずなのに…。

   
自分で自分を追い込む恋だったな。
  

Kさんのコメントを読んで、その恋を思い出した。
 
   
自分で自分の首を絞めるようなことをしてはダメよ!と言う自分と、
それでも彼が好きなんでしょう?と言う自分がいる。
どっちが本当の自分なんだろう。
 

どっちも本当の自分の気持ちなのかもしれない。
      

そっちに行ってはだめだって分かっている自分もいるし、
そんなこと分かっているのに、
それなのに、どうしても彼が好きっていう自分もいる。

   
だから、別れって苦しいんだろうな。
だから、気持ちを残して終わった恋は、
つらいんだと思う。   
 

好きだという気持ちが、報われない。
こんなにも大きな気持ちなのに、報われない。

 
    
そう。
「好き」の気持ちの大きさや、相手を想う気持ちと、
その恋が叶う可能性は比例してくれないことがある。

 
恋には、
努力とか、がんばりなんて、
全然関係ない時がある。

   
切ない。
Kさん、切ないね。

     
幸せになりたい。
だったら、彼との思い出に縛られていてはダメ。
新しい出会いに期待したい。

   
分かってる。
分かってるの。ちゃんと自分で分かってる。
でも…。

 
彼がいとおしくて、
そして、
とても怖い。

  

人を好きになるって、
どうしてこんなに難しくなってしまう時があるんだろうって
思う時がある。

    
終わりにしたいって思っていても、
終わりになったって分かっていても、
立ち止まってしまう気持ちは、
自分でもどうしようもなくて、
どう前に進んでいいのか分からなくて。

      
季節が変わっていくのを、
見ていることしかできない時があると思う。

    
時間が過ぎてくれるのを、
ただただ待つことしかできない時が、あると思う。

   
そういう時が、人生の中にはあると思う。

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2025.02.09

音楽も聴けない。本も読みたくない。ただただ絶望に沈んでいたい。

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落ち込んでいる時って、音楽に心を救われる時ってある。
元気になれる時がある。
でも、絶望のどん底にいた時、歌も、何も、心に届かない事が、あった。

 
元気がなかったり、何かうまくいかなかったり、
つらいコトがあった時、
音楽に救われることって、私は結構ある。

 
ある時、ある歌を聴いて、
心が救われたことは多い。

 
今も、部屋ではほとんどFMをかけっぱなしにしているし、
電車での長い移動の時は、音楽を聴いているし。

 
でも、その音楽にさえ、心が響かない時期があった。

   
好きだった人に、信じていた人に、
別れを告げられた時。

  
もう自分がどうしていいのか、考えられなくて、
未来への道も全然見えなくて、
人生に絶望してしまっていた。

  
もう前に進む力もないし。

  
人生が、どこまでも沈んでいくような、
どうやって生きていっていいのか分からなくなっていた時期。

  
多分、あれが悲しみの底っていうのかもしれない。

  
その時、
全く音楽を聴けなかった。

 
聴けなかったっていうか、
聴こうっていう気が起きなかった。

  
もう、音も何もない世界で、
じっとしていたいって思って生きてた。

 
音楽だけじゃなくて、
本も読めなかったし。

  
もう絶望の淵みたいな所にいる時って、
そういう風になってしまうことが、
あるのかもしれないって思う。

  
ずっとじゃないんだけどね。
ある一瞬の時期なんだと思うんだけどね。

  
しばらくすると、
心が音楽とか、本とかを欲してくるし。

  
そうなると、今度は、
水をごくごく飲むように、
音楽を聴き続けたり、
本をずっと読み続けたり。

  
私は、そんな感じの時がありました。

   
  
音楽にも心が救われなかったあの時は、
沼の底にいるような記憶。

 
光が届かない、沼の底で、じっとしてるだけの日々。

 
遠くの上の方から、光が射してくるまで、
じっとしているしかなかった。

    
その悲しみの沼の底は、とても静かだった。

  
今でも、心の一部は、
その底に残っているような気がします。

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